タイ大卒者の就職事情とタイ労働市場の現状と課題

Labor Market
1.タイの大学事情と学位の位置付け 2.大学新卒者の就職観と「失業率」問題 3.タイ企業の新卒者に対する考え方 4.タイ人学生の就職活動 5.官業に対する考え方 6.タイ大学生の語学力と就職 7.タイ人を雇用するにあたっての留意点 8.外国人労働者の問題

1.タイの大学事情と学位の位置付け

  • 【ポイント】
  • ・タイでは1980年代後半より理工系を中心に大学の設置数が増加。
  • ・背景には、政府が進める工業化政策、技術者不足という事情があった。
  • ・工業化は主に外資が主導した。
タイ政府によって1980年代以降押し進められた工業化政策は、日本やアメリカなど外国資本の参入を促す一方で、現場を担うタイ人技術者の慢性的な不足を表面化させた。このため政府は80年代後半ごろより高等教育機関としての大学の拡充に力を入れ、技術者の大量供給を進める施策を実施した。 ただ、いきなり大学を設置するといっても人の確保や設置場所、予算の関係から直ちに実施するのは不可能。このため政府は、既にあった大学の分校を拡大させて独立校に昇格させたり、公立の専門学校として運営されていた学校を大学に格上げするなどの措置を講じ教育の場を確保していった。こうして出来上がった学校の一つに、シーナカリンウィロート大学チョンブリ校(分校)から独立校となったブラパー大学があり、同じシーナカリンウィロート大学ピサヌローク校(同)から独立したナレスワン大学がある。 公立大学の増加(昇格)をきっかけに、80年代後半から90年代にかけて、タイでは私立を中心に大学の新設も相次いだ。10年あまりの間に次々と新しい大学が誕生。2015年末現在では、国内に国立大学30校、私立大学68校、人材教育を目的とした地域総合大学40校、高度な技術修得を目的とした工科専門大学9校を数える。 こうした大学の昇格あるいは新設ラッシュは、もともとが技術者の養成を目的としたものであったことから理工系が中心だったが、大学の設置数が増えるにつれて文化系学部の募集定員も増加。現在、全高校卒業者の60%程度が大学に進学するまでに「高学歴化」が進んでいる。 タイでもかつての日本と同様に急速に大学数が増えた時期があり、「誰もが希望すれば大学に進学できる」時代に入ったと言えるが、それは反面、かつてあったような「学士号」を持つからと言って、就職に有利に働くような事情もなくなった。

2.大学新卒者の就職観と「失業率」問題

  • 【ポイント】
  • ・タイの大学生は卒業してから就職活動を開始するのが一般的。
  • ・このため、例年7月〜8月の新卒者の「失業率」は“高い”。
  • ・大半の新卒者が春から夏にかけて就職先を見つける。
タイ労働市場の失業率は、2005年以降、1%台で推移した後、2011年になって1%を割り込むまでに低下。経済学で言う完全雇用に近い状態が続いている。このような状況下であれば、「就職難」とは無縁の労働環境にあると思われがちだが、タイでは事情を大きく異にしている。 日本では、大学生は3年生のうちから就職活動を開始。4年生に進学後、間もなくして就職先が決まるというのが基本的なスタイルだが、タイでそのようにして就職活動を行う大学生はほとんどいない。チュラロンコーン大学やタマサート大学などごく一部のエリート大学の学生が在学中に就職先を見つけることはあっても、大半の学生は大学を卒業をしてからゆっくりと自分の進路を考えるのが一般的だ。 大学の卒業時期は概ね4月から6月。この時期まで就職先が決まっていないケースは決して珍しいことではなく、大半の学生が卒業を機に就職活動を開始する。また、6月には賞与の時期であることから、賞与を得てからやめる方が少なからずいる為、7月から8月時点での「失業率」は、数値だけ見れば「高い」とされるのが特徴である。 新卒者は卒業後の春から夏にかけ順次、就職先を見つけていく。中には、そこから大学院に進学したり、外国に留学したりする人も。例年、状況はほとんど変わってなく、「あくせくしない」というのがタイの大学生気質とも言える。
タイ王国失業率 月別推移 2015.2-2016.1
【参照:the Bank of Thailand. (2016)】
タイ王国における失業率推移
【参照:IMF - World Economic Outlook Databases (2015年10月版)】

3.タイ企業の新卒者に対する考え方

  • 【ポイント】
  • ・タイの企業は「即戦力」を求め、「新卒者」を教育しようとは考えていない。
  • ・未熟な労働者は、転職を繰り返す中で技術を磨いていく。
  • ・タイ人=飽きやすい=離職率が高い、という理解は誤解に基づく偏見。
新卒者に対する企業の考え方は、日本とタイでは大きく異なる。「企業内労働者」という言葉があるように、日本では人材は企業が内部で育て上げるものという考え方が一般的だが、タイの社会にそのような習慣はない。タイの企業が求めるのは、すでに技術や知見を兼ね備えた「即戦力」としての“熟練”労働者。新卒者を雇用して育てるという考え方がそもそも存在しなかった。 最近になって経済や企業も変化し、日本や欧米などと同様に定期的に大学新卒者などを採用する企業も散見されるようになったが(例えば、サイアムセメントなど)、まだまだ少数派。大半の地元企業は今なお、即戦力となる人材を求めるのが通常で、新卒者を採用したり教育しようなどとは基本的に考えていない。 こうした現実も一因となって、タイではブルーカラーを中心に労働者の定着率が低い。タイの労働市場では、技術的にも能力的にも未熟な労働者はいくつかの現場を経験しステップアップしていくという考え方が一般的にあり、労働者自身も離職し転職することをむしろ肯定的に捉えている。企業側もそれを当然と考えている。 なお、タイで労働者の定着率が低いとされるのは、現場労働者すなわちブルーカラーの労働市場で顕著とされ、オフィス勤務すなわちホワイトカラー層で際立って定着率が低いという事情は存在しない。タイ人=飽きやすい=離職率が高い、といった認識は誤解に基づくものであり偏見に近い。

4.タイ人学生の就職活動

  • 【ポイント】
  • ・タイの大学には就職支援制度が存在しない。リクルーター制度もない。
  • ・一軒一件、企業のドアを叩いていくのがタイ新卒者の就職活動スタイル。
  • ・インターネットの求人サイトも、キャリアアップ向けに開設。新卒向けではない。
日本の大学には「就職課」あるいは「学生課」などといった就職支援窓口が学内に設置されているのが通常だが、タイの大学にはそのような支援制度は存在しない。わずかに、チュラロンコーン大学やサシン経営大学院等に「キャリアセンター」が置かれているが、実体には乏しく、外部に委託した人材紹介会社が就職説明に訪れるのがせいぜい。こうした点も日本とは事情が大分異なる。 タイの大学生が就職情報に接することができる機会としては、大学や学部単位で開かれるジョブフェアーへの参加や人材紹介会社への登録が一般的。同じ大学の先輩が後輩の面倒を見るような日本式のリクルーター制度も存在しない。習慣そのものがないと言っていい。個別に人脈をたどって一つ一つ企業のドアを叩いていくのが、タイ流の就職活動スタイルと言える。 日本では、大学生がアルバイト先にそのまま正社員として就職するケースもまま見られるが、タイでは通訳などの特殊技能を除けば、そういったルートもまず存在しない。そもそもタイの大学生は学業に忙しく、学期中はアルバイトをする余裕すらないのが一般的。日本の大学生とは異なり、タイの大学生は制服を着用し、毎日朝から晩まで真面目に学校に通うのが通常で、アルバイトをする機会もないから企業との接点も持ち得ない。それがタイの大学生の実情といえる インターネットの求人サイトを活用した就職活動は、今では全世界で当たり前のように行われており、タイにもそうしたウェブサイトがいくつかある。中でも「Job DB」と「Job Thai」が2大サイトとされているが、いずれもメインは中途採用者向け。すなわちキャリアアップしようと志す人々に向けたサイトで、大学新卒者が登録できるような求人サイトは存在しない。背景には、前述したように新卒者を「即戦力」として見ることのないタイ社会の現実がある。

5.官業に対する考え方

  • 【ポイント】
  • ・公務員は「夢のない職業」という受け止め方。
  • ・一方で手厚い福利厚生制度に守られた公務員。
  • ・中間所得層以上のタイ人は就職口を民間に求めるのが一般的。
日本ではエリート大学卒業者を中心に中央省庁指向が極めて強いが、タイでは全く事情が異なる。 中央官庁をはじめタイの公務員の給与水準は驚くほど低い。2012年に改訂されたバンコク都知事の月収はわずか11万120バーツ(約34万3500円)、副知事でも8万7000バーツ(約27万1000円)。物価が異なるとはいえ、信じがたい水準だ。タイでは公務員の兼業が認められており、こうした事情も給与を低額に押し止める要因となっている。(1baht=3.12円2016.3月現在) 給与が低ければ、当然、学生の人気も低く、タイではエリート大学の卒業生が好んで公務員の道に進むことはほとんどあり得ない。どの官庁も日本と同様にピラミッド型の組織をしており、どんなに実力があっても基本的に上司を追い抜くことはできないことも不人気を助長している。給与が安く、昇進もあまり期待できない。タイでは現実に、公務員が「夢」のない職業の一つと受け止められている。 もっとも、日本と同様に、公務員は手厚い福利厚生制度で守られている。配偶者や子供だけでなく、親の社会保険にも加入でき、子供の学費援助も存在する。国立大学で選ばなければ、ほとんど自己負担なく大学まで進学させることも可能。タイにおいて公務員とは、相対的に貧困層出身者が就く仕事と受け止められている。 このため、親が比較的経済力を持った中間所得者層以上の出身者の多くは、就職口を民間に求めるのが一般的。自分の力一つで高額の給与を得ようという「夢」を彼らは常に追い求めている。

6.タイ大学生の語学力と就職

  • 【ポイント】
  • ・タイ人大学生は勤勉で、多くが英語を解する。
  • ・外国企業への就職にも抵抗が少ない。
  • ・かつては日本語、最近は中国語が大学生のトレンド。
タイの大学生は非常に勤勉。特に英語については幼少のころから力を入れて教育されており、多くの大学生が英語を話すことができる。10年ほど前までは日本人と大差はなかったが、この10年でずいぶんと英語力が上昇した。政府が力を入れた結果と言える。 多くの大学卒業者が英語を解するため、おのずと外国企業も就職口の候補先に。陸続きのマレーシアやシンガポール、ベトナムなどの外国企業にもアプローチをかけ、就職する人も少なくない。もともと外資に依存した社会発展を続けており、外資に対する心理的抵抗が少ないことも理由の一つと考えられる。それだけに、外資系企業に就職したり転職したりすることを取り立てて「サクセスストーリー」などとも考えていない。数ある就職口の一つほどの感覚と言える。 余談だが、タイの大学生の中には、英語ともう1カ国語の計2カ国語を自在に操る大学生も少なくない。これまで圧倒的に人気の高かったのは日本語。多くの大学に日本語学科が設けられ、多くの大学生が高校生のうちから第2外国語としての日本語教育を受けてきた。 ところが、最近は日本語ブームにも陰りが見えるように。現在のトレンドは間違いなく中国語。中国の経済発展とともに需要が高まり、急激な勢いで中国語学科の設置が続いている。日本語教師の10倍近い中国語教師がタイ国内で働いているという統計があるほどだ。

7.タイ人を雇用するにあたっての留意点

  • 【ポイント】
  • ・争いごとを好まない国民性。自己を売り込むことは苦手
  • ・スキルの高いタイ人は少なくない。語学力では日本人よりはるかに高い。
  • ・より実力を発揮できるような職場環境の整備が大切。
争いを好まないという伝統的な国民性から、タイ人を評して受動的で積極性に欠ける人が多いという指摘がある。それが就職活動の中でも反映されることがあり、学生もおとなしく、なかなか自分を売り込もうとはしないという現象に結びつく。仕事においても「これは自分の仕事ではない」という判断につながりやすくなる。 しかしながら、これを以てして、タイ人=働かない民族性という判断は誤りだ。タイ人労働者の中にもスキルが高く、統率力を持つ人材は数多く存在する。少なくとも語学力では日本人に負けてはいない。 大切なのは、こうした能力の高いタイ人従業員が職場でより力を発揮できるような職場環境を提供すること。これが企業経営者に求められる資質と言える。真っ先に挙げられるのは十分な報酬ということになるが、それだけに限られない。上司部下や同僚といった人間関係にも配慮し、常に目配り、気配りを行うことが肝要と言える。

8.外国人労働者の問題

  • 【ポイント】
  • ・隣国からの出稼ぎ労働者に支えられてきたタイ経済。
  • ・建築不動産、自動車、飲食、家政婦現場などで人手不足が深刻化。
  • ・ミャンマーやカンボジアでは国内労働者の帰国を促すなど影響は必至。
タイは空前の好景気が続いており、労働市場もヒートアップ。取り分け、建築不動産分野や自動車関連産業、過熱化が進む外食レストラン部門、それに家政婦派遣市場などで人手不足が顕著になっている。これまで、こうした労働現場の大半は、ミャンマーやラオス、カンボジアなどの近隣諸国からの出稼ぎ労働者によって支えられて来た。ところが、最近になって事情に変化が現れるようになっている。 バンコク首都圏では商業モールやコンドミニアムの建設ラッシュが続いている。需要に対するピークにはまだまだ達していないと受け止められており、しばらくの間はこの傾向が継続するものと見られている。 問題となっているのは、現場の労働力不足。タイ工業省建設研究所(CIT)によると、現在必要とされている建設労働者は約290万人。ところが、多く見積もっても260万人程度しか確保できておらず、30万人がなお足りない計算となる。 自動車関連の製造現場でも同様。タイでは2012年、自動車の生産台数が過去最高となる245万台を記録。2011年の大洪水による影響が大きなバネとなり好調かに思えたが、2015年現在は上昇の兆しが見えそうになく、停滞している。しかし、タイ工業連盟(FTI)自動車部会の試算では、現在、タイ国内で自動車関連産業に携わる労働者は約70万人。日本のトヨタ、ホンダ、日産などが新たな増産体制を打ち出すなどしており、さらに20万人が必要と試算されるものの、見通しは立っていない。 飲食現場でも、調理人やウェイトレスなどの労働者確保が難しくなっている。このため、飲食店の中にはわざわざ休業日を設定して労働力不足に対応したり、近隣の飲食店と従業員をシェアリングして人手不足を解消しようという動きも。ただ、賃金も上昇しており、一朝一夕には解決できる状況にはない。 派遣家政婦市場でも人手不足が続いている。加えて2012年4月から始まった最低賃金の引き上げ策が追い討ちに。もともと家政婦労働者の派遣料(労賃+派遣手数料)は低く、最低賃金が引き上げられたからといって、直ちに派遣先への派遣料に転嫁することは不可能。派遣会社側が負担を強いれられているのが実情で、バンコクにある派遣会社では毎月数百万バーツの赤字を強いられている。 これらの労働現場では、これまで不足分を近隣諸国からの出稼ぎ労働者で補って来た。建設、自動車などの労働現場ではカンボジアやラオス、レストランや派遣家政婦の現場ではミャンマーからの出稼ぎ労働者が多いとされてきた。 ところが、最近になって事情が大きく変化。西隣のミャンマーでは民主化が進んだ結果、労働市場が拡大した現在、国内の人手不足が深刻化しているという。ミャンマー政府はタイ国内にいるミャンマー人に対し帰国を促しているともされ、タイ経済に対する影響は少なくない。カンボジアでも同様で、工業団地などの整備が進んだ結果、自国に帰って職に就こうというカンボジア人が増えているという。