2024.04.10タイの文化

無形文化遺産に登録されて初の「ソンクラーン」-2 水かけ祭りはいつ始まった?

今年のソンクラーン(タイ正月、水かけ祭り)は、2023年12月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産への登録が決定されて初の開催ということで、例年よりも注目を集めています。
待ち遠しいのやはり、新年の到来そのものよりも水かけ祭りでしょう。前回は元日についての歴史を追ってみました。今回は水かけ祭りを見ていきましょう。

 

タイ語ではソンクラーンを説明するための、「水かけ祭り Water Festival」という別名称はありません。「タイ正月 Thai New Year」に対する「ピー・マイ・タイ」という名称はあります。ソンクラーンの語源は「移動」や「変化」を意味するサンスクリット語であることは、周知のとおりです。現代のソンクラーンはどうも、水かけ祭りが独り歩きしているようです。

 

タイ文化省は、「元王朝のラマ5世(1868年~1910年)が、当時旧暦5月(新暦6月~)に行われていた水かけ行事の起源が、アユタヤ時代に執り行われていた儀式にあると想像した」とし、ソンクラーンの水かけ行事はアユタヤ時代から続いていると説明しています。
その儀式は、ボーロマトライローカナート王(1431年~1488年)治世の、古き年を断ち切って新たな年を迎えるための「パデットソット」を指すといわれます。文化省はまた、「(新暦)4月は農作業を終えて新年を迎えるにふさわしい時期」とも説明しています。

一部で説明されているような、水かけ祭りの起源がスコータイ時代にあったかどうかは分かりません。ただ遅くともアユタヤ時代の1400年代には、今でいう第二四半期に何かしらの水かけ行事があったのでしょう。1年が4月16日に始まる「チュンラサラカート(チュラサラカート)」という暦法が1569年に取り入れられ、タイの新年と水かけ祭りが融合していったと、後世に伝えられたのではないでしょうか。

 

70~80代といったシニアからの話をまとめると、ソンクラーン中の水かけ行為は村の年長者や寺院の仏像・僧侶に対して行われていました。子どもたちが集まって村を歩いて回ったり、車に乗せられて遠出したりと、楽しかったと話します。年長者の合掌した手や頭にかけたり、寺院では仏像の肩や僧侶の足元にかけたりと、1970年代までは無礼講とは程遠い謙虚な行いだったようです。

 

規模が大きくなってきたのはおそらく、1970年代後半~1980年代前半です。「どこかが観光誘致の名目で水を掛け合う行事を始め、それがあっという間に広がった」とシニアの方々は話します。無礼講と呼ばれたソンクラーンは1990年代から2000年半ばまで続いたのではないでしょうか。

 

最も賑やかだったころの水かけ祭りは文字どおり無礼講で、一歩外に出れば水に濡れました。
大通りでも狭い路地でも、道沿いの店舗や民家、街中を走り回るピックアックトラックの荷台に乗った人たちから、バケツやホースなどで水をふんだんに掛けられました。都市部でも地方でも同じです。路線バスに乗っていても、ドアが壊れた昇降口から乗り込んでくる若者たちに、水浸しにされます。

 

やがて粉が流行りだしました。水に市販の粉を入れてベトベトにし、すれ違う人たちに塗りたくります。
最初は白だけだったのが、青、赤、緑といった色付きの粉も出てきて、インドのホーリー祭のレベルではありませんが、似たような大騒ぎの祭りと化していきました。在タイ外国人が、「ソンクラーン中は海外に避難したい」といっていたのもこの頃です。

 

粉を混ぜて人に塗りたくる行為は痴漢という犯罪に結びついてしまい、最後は政府のお達しによってほとんどなくなりました。
バンコクなどでは、水かけ祭りの実施が観光地区に限定されてきます。タイの人たちもさすがに飽きがきたのか、以前よりも夢中ではなさそうです。コロナ禍前の2010年代後半には、水かけ祭りにいそしむ人の多くは外国人旅行者や観光客、といった様相を呈していました。一昔二昔を思い返せば、最近の水かけ祭りはいたって静かです。

 

そして今回の無形文化遺産に登録です。ソンクラーンの水かけ祭りは今後、どのような姿を見せていくのでしょうか。次回は、ほかにもあるソンクラーン起源についてのいろいろな説を見てみましょう。

 

 

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