2025年に読む『タイ人と働く』 30年で変わったこと・変わらないこと
2008年の初め、私は地元の図書館でタイ関連書架の端から端まで何十冊か手あたり次第に読んでいたのですが、その中で特に印象的だった一冊は『タイ人と働く』末廣昭[訳・解説]でした。これはアメリカ人の人類学者・経営コンサルタントであるヘンリー・ホームス氏とタイ人の社会学者スチャーダー・タントンタウィー女史の共著である“Working with the Thais”が元になっており、タイで働く外国人の必読書とも紹介されていました。その後、実際にタイで働くようになり、この本で読んだ内容を思い出すことが多々あったのですが、先般ふと、原書出版から30年、訳本出版から四半世紀を経て、同書はこの間のタイ社会の変化にまだ耐えられるのか? と思い読み直してみました。
結論から申し上げると、タイ移住前に読んだ時より、当地に17年在住し、タイの人々とも様々な形で関わり、より一層この本の良さを感じました。スワンナプーム空港もLCCもなければ、MRTどころかBTSもなく、高等教育進学率も高くなかった頃に外国人経営者が見たタイ人の様子が描かれています。それゆえ、タイ人の国際感覚や時間感覚にも隔世の感があり、現況への当てはめには加減が必要なことは否めませんが、タイ人の言動や思考を理解する上でカギとなる部分は今も大いに役立つことでしょう。
序章や第一章では、「日本人役員の失敗」「なぜ、タイ人と働くことについてこんなにも外国人から不満が出るのか?」と煽動的な章立てや問いかけがあったり、ファックスやタイプに今や知らない人が殆どであろう古い表計算ソフトの名前が出てきたり、はたまた挿絵の時代感に面食らうかもしれません。更に、ところどころに出てくる何バーツという金額に相場の大幅な上昇=年月の流れも感じますが、そんなことは些末で、外国人のタイ人観とタイ人の外国人観は、多くの部分で今もリアリティを持ち示唆に富みます。発言の引用が多く、中にはタイ人をこき下ろしているように感じる部分もあるものの、著者はあくまでケーススタディとして、例えば、外国語能力を優先して必要な技能がある人間を採用しなかった場合に起きる社内の問題を、経営管理上の問題であって文化の問題と取り違えてはならないと釘を刺すあたり線引きが明快です。
第二章でタイの人間関係と社会という構造的土台への理解を促し、第三章でタイ人のこころに具体例を示しながら迫ります。異文化理解と言えば必ず名前が挙がるホフステードの国際的な調査に始まり、タイ固有の文化や歴史の側面からのアプローチとしてタイ人の13種類の微笑みの解釈、伝統的なヒエラルキーを形成するのに欠かせなかった位階田制度や宗教-つまり上座部仏教への篤い信仰心-を基にした考え方等を過不足なくテンポよく紹介してくれています。この辺りの充実度と面白さは、タイで仕事をする人に限らず、タイに住む人、タイ人を知りたいと思う全ての人に有用と感じます。
第四章~第六章では、タイにおける有効なリーダーシップ、外国人経営者がなすべき課題とその対応策・ポイント紹介、オフィス外でのあれこれへの実務的アドバイスと続きます。そして締めくくりとなる第七章で経済発展に伴ってタイも変化しつつあり、更に変化する可能性に触れていたのはお見事。現に、私がタイで仕事を始めた当初は、「タイ人は○○」と否定的な見方を示したり残念なことに焦点を合わせたりする日本人駐在員・経営者が少なくなかったものの、この間、肯定的な声が聞かれることが増えたように感じています。タイ人と日本人の感覚の溝が狭まったことや、コーチングやリーダーシップに興味を持ち建設的思考で対応する日本人が増えたこと、あるいはリーマンショックもコロナも経て愚痴に終始するような人が淘汰されたのかもしれませんが、かかる変化を踏まえて、本書中のとんでもなく感じたエピソードを「タイ人」と大きな主語で適用しないようにする意識も肝要です。
そして、末廣先生が解説で「面子」に触れていることも、極めて重要な指摘ですが、個人的には副題“A Guide to Managing in Thailand”を「ヒエラルキー的社会と気配りの世界」とした点にタイ研究の第一人者ゆえになしえた采配を感じます。日本人からすると、部分的文化の類似性から著者が念頭に置いた欧米人よりタイ人を理解しやすい面もあると思いますが、それ故に分かっているつもりで見当が外れる危険性も孕んでいて、その最たる部分が副題に集約されている気がします。上下関係や忖度を思い浮かべるとある程度の雰囲気は理解できますが、タイの権威主義の厳しさとそこで生きる術としての気配りの濃やかさは、やはり日本人にとっても想像を超えるもので、落とし穴にもなる点を注意しながら読むと内容の吸収度がより高まることでしょう。
ということで、これからタイに、という方はもちろん、既にタイにいる、という方にも依然として『タイ人と働く』はおススメです。そして、2025年的読み方としては5月末に公開されたNetflix『マッドユニコーン』を視聴しながらタイのスタートアップ企業を舞台とする話題のドラマに描かれた人間模様に重ねて、今昔と普遍性を見出すのも、タイの人やタイに関わる日本人と語らうのにいい話の種になるかもしれません。
<本記事はチャオプラヤー・タイムズ 「南洋茶話2ndシーズン」第4回を許可を得て引用・転載しております。>