2023.08.14タイの文化

華人と食の街「ヤワラート」

実際にタイに住んだり、タイのドラマを観たりして、タイ人の顔立ちに「おや?」と疑問を感じたことはないでしょうか。東南アジア人らしい彫りの深い顔立ちの人だけでなく、中国人や日本人と見分けがつかない顔の人もたくさんいますね。タイには、華人、つまり、中国からの移民の子孫たちが非常に多いのです。政界や経済界でも華人が大きな位置を占めていますし、俳優さんもエキゾチックな顔の人より、色白で端正な顔の人の方が好まれる傾向があります。

一口に移民といっても、スコータイ王朝時代(13世紀〜1438)やアユタヤー王朝時代(1350〜1767)の商人もいれば、陸路でタイ北部に入った少数民族(チン・ホー族)、中国の共産化により移住した難民(「国民党」の音訳でコクミンタンと呼ばれる)もいるのですが、多くの場合、19世紀半ば〜20世紀半ばに流入した移民とその子孫のことを華僑・華人と呼んでいます。ですから、現在活躍している人たちは、3世華人や4世華人ということになります。2世までなら中国語を勉強していた人も多いのですが、それ以降は生まれたときからタイ国籍者ですし、華人同士で結婚するとも限りませんし、中国語を習っている人も稀なので、日常生活では特に他のタイ人と違うことはありません。

とはいえ、春節(旧正月)や中元節など中国の行事、結婚式やお葬式など家族のイベントがあるときは、多くの家庭で中国の慣習が今も守られています。中国の人は親族の団結が強く、年長者を尊重しますから、結婚するときも若い人の勝手気ままな挙式などはできず、縁起物として餅や蜜柑を用意し、中国茶を長老たちに差し上げる儀式をしなければなりません。商売の場でも、クレジットは受け付けず、現金払いしか信用しない昔ながらのやり方を守っている人もいます。年中行事には一族全員が集まりますから、友達が旅行に誘ってきたとしても家の行事を優先させます。もしかしたら徐々に消えていく習俗なのかもしれませんが、今のところは、まだこのような中国人らしさも見られます。

さて、私たち日本人がタイで暮らす中で、中国の影響を最も濃く感じるのは食べ物かもしれません。たとえば、クイッティアオ(米粉麺)はタイ全国どこでも見かける麺料理ですが、広東人がタイに持ち込んだと考えられています。クイッティアオという名前もすっかりタイ語として定着していますが、もともとは中国語。ティムサム(点心)、パートンコー(油条。揚げパン)など中国から来た食べ物はだいたい中国語名のままで一般化し、タイ人の食生活にすっかり馴染んでいます。

バンコクで華人がたくさん住んでいる中華街といえば、ヤワラート界隈ですね。食通の人は大好きな街でしょう。ヤワラート通りは、ラーマ5世時代の1891年から8年がかりで建設された全長約1.5 kmの道路。この地域には潮州人が多く暮らしています。中国から伝わった豊かな食が一度に楽しめる街として、夕方には、次々と開く屋台の間をタイの人も観光客も入り乱れて歩く賑やかな風景が見られます。フカヒレや点心、北京ダック、オースアン(牡蠣の卵とじ炒め)の他、シーフードの安くておいしい店もありますし、甘栗や中華ちまきを買って帰るのもいいですね。

ヤワラートには、中国式の寺院も多くあります。中でも厄除けの寺院として有名なのは、ワット・マンコーン・カマラーワート。華人に限らず、多くのタイ人が厄年にお参りする寺で、春節になると身動きもできないくらい大勢の人が押しかけます。ここでは順路通りに参詣し、決まった場所で線香を供え、お祈りします。厄除けのお守りを買う人もたくさんいます。
ワット・トライミットは「黄金仏寺院」の名でも呼ばれています。700〜800年前に造られたといわれる黄金仏は、略奪から守るため長い間漆喰に覆われていたそうですが、20世紀になって偶然元の姿を現したという由緒ある仏像です。その輝きを一度は拝みに行きたいですね。

ヤワラート界隈は一方通行が多いので、慣れない人が運転すると迷路に迷い込んだようになって大変なのですが、現在は地下鉄が通ってアクセスが大変便利になりました。最寄りはMRTブルーラインのワット・マンコーン駅。中華街らしく工夫された駅の装飾を見て歩くだけでもわくわくしてきますよ。なお、ワット・トライミットは隣のフワラムポーン駅で降りた方が近くなります。この辺り一帯には、美しい王室寺院や古い西洋建築もたくさんありますので、歴史散歩のお好きな方にもおすすめです。

 

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